いま江戸歌舞伎から学ぶもの-1

<いま江戸歌舞伎から学ぶものは?>
いま新型コロナウィルス騒動で、演劇、音楽など日本の芸術文化は風前の灯。
歌舞伎は、江戸幕府誕生と同じ慶長8年(1603)に出雲阿国が踊ったとされ、今年(2020)で417年の歴史があります。
歌舞伎1.png
しかも歌舞伎は、江戸時代には幕府からの弾圧や大火、天災、飢餓・・・などの社会変化の中で家と芸を守り続け、いまも世界へ大きく羽ばたいています。
コロナ騒動後の日本の芸術・音楽・文化活動には、歌舞伎から学ぶものが必ずあると筆者は思います。
そこで江戸歌舞伎を中心にした文化の潮流と歴史を考えてみます。

<歌舞伎の歴史-1>
歌舞伎の歩みは、慶長8年(1603)、出雲阿国が京都での「かぶき踊り」から始まりました。
阿国.jpg
女性だけの女歌舞伎。その後、若衆歌舞伎が登場するも風紀上の観点から禁止に。そこで野郎歌舞伎という男性だけの歌舞伎が誕生し、演劇性も高め今の歌舞伎の原型を創っていきました。
長い歴史と芸。そして多くの家一門がある歌舞伎の世界。歌舞伎の素人の筆者が書くに無理な世界。江戸歴史書や歌舞伎入門書、インターネット情報から歌舞伎、團十郎をキーワ-ドに調べました。

<華麗に開花した元禄歌舞伎>
近代歌舞伎の原型は元禄期に創られたとあります。都教育委員会の「江戸から東京へ」には、「江戸独自の歌舞伎様式は元禄期の初代・市川團十郎によって創始された」とありました。團十郎荒事1.jpg
「荒事」と言われる力強い立ち振る舞い、派手な隈取りや衣装。見栄や六方など独特な演技。そして後に歌舞伎の大ヒット「仮名手本忠臣蔵」となる赤穂浪士の討ち入りもありました。
一方、上方では初代・坂田藤十郎が「和事」と呼ばれる柔らかな写実的芸風で色恋沙汰を演じ上方歌舞伎の基礎を創りました。歌舞伎 和事1.jpg
この東西の両役者のもと役者数は、「江戸が113人。大阪は100人。京が92人」(元禄15年の役者評判記)。また浄瑠璃の竹本義太夫が近松門左衛門と組んで人形浄瑠璃に新風を吹き込みました。歌舞伎にも大きな影響を与えました。女形の芳沢あやめが、最初の「千両役者」になったという説もあるようです。歌舞伎にも上方文化の強い影響がみられます。

<明暦の大火と江戸文化>
明暦の大火(1657)が江戸を大きく変えました。明暦の大火.pngこの大火では10万人ともいわれる人々が亡くなり江戸の大半が焼けました。この江戸の再建を担ったのが幕府の家老・保科正之。幕府の権威の象徴である天守閣の再建を止め、江戸の町の再建を優先しました。それが元禄と化政(文化・文政)の二つの江戸文化を開花させる事になりました。大工や各種の職人が江戸に集まり、屋台や飯屋など食文化をうみ。さらに材木商として大儲けした河村瑞賢によって整備された北回りと南回りの両海路が全国の物産の流通を大きく進めました。
また各藩の米蔵を大川(隅田川)に集中し名称も蔵前になりました。
近年、賄賂政治の代名詞の家老・田沼意次の評価が変化しています。江戸の繁栄.gif
米本位制から重商業制への移行を目指したからです。
米本位制を守る幕府や藩の財政が苦しくなっていきます。一方で蔵前の札差や両替屋に金が集まり、世に言う「蔵前風」という男粋を誇り、夜な夜な吉原や料亭で豪遊する男衆が出てきました。この豊かな町人層の出現によって、江戸期の文化活動の中心が上方から江戸へと移動したとも言えるようです。

<歌舞伎の歴史-2>
歌舞伎の歴史を考えるうえで「絵島生島事件」正徳4年(1714)があります。大奥の年寄・絵島が幼い七代将軍・家継の代理として増上寺に、その帰り歌舞伎を見物し江戸城の門限に遅刻してしまったのです。それが歌舞伎俳優の生島新五郎との密通事件になり、大奥関係者や歌舞伎関係者など多数が処罰を受けたのです。その裏には、前将軍の正室・天英院と家継の母・月光院との対立があったと言われています。
この事件で江戸歌舞伎の山村座が廃止になり江戸三座(中村座・市村座・森田座)となりました。猿若町.jpg
中村座、市村座、森田座の三座の芝居見物は、江戸の一大イベントになり、客は夜中から木戸を開くのをまちました。
一般庶民の木戸賃は、100文(2500円位)桟敷席は銀15匁(約25000円)。
今も残る屋号に「成田屋」「音羽屋」「播磨屋」・・・と数多くの家一門が誕生しました。
経済評論家の上念司氏の著書「経済で読み解く日本史」に、【「元禄」「元文」「文政」と江戸時代の好況の陰には必ず「貨幣の改鋳」という“金融緩和”がありました】という解説があります。当時の勘定吟味役の荻原重秀が「慶長小判」2枚を溶かし「元禄小判」3枚を作りました。つまり通貨供給量が1.5倍に増えたのです。歌舞伎の盛況の影に貨幣の改鋳という金融緩和政策がありました。

<初代・市川團十郎と二代目・團十郎>
歌舞伎一門の中で「宗家」と呼ばれるのは「成田屋」こと市川團十郎だけです。
初代 .png
前述したように元禄期の初代・市川團十郎の一門。初代は「偉大な個人」。二代目によって「家の芸」にしたと言われています。
また初代から二代目への引き継ぎは見事なものでした。
子に恵まれなかった初代・團十郎は成田不動尊に祈願し生まれたのが二代目。「團十郎の子は成田不動尊の申し子だ」という伝説を作ります。「成田屋」の誕生です。
また初代・團十郎は45歳の時、舞台で共演者の生島半六に殺害されます。歌舞伎界を揺らした絵島生島事件の生島新五郎が半六の師匠でした。この衝撃的な事件で悲劇の二代目となり江戸中の同情を集めました。初代が考えていた役者の襲名が人々に受け入れられたのです。
二代目は、初代の荒事に上方の世話浄瑠璃を導入し和事もこなしました。そして荒事と和事の演出を取り入れた「助六」は完成します。さらに「実事」というシリアスな役柄や演出も開拓します。家の芸を確立したのです。
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次回「いま江戸歌舞伎から学ぶもの-2」では化成期から現代までの歌舞伎の変遷を探ります。歌舞伎 幕.png

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この記事へのコメント

小林成基
2020年05月10日 22:02
歌舞伎なんて不思議なものができ上がったのはなぜなんだろうとずっと思っていました。一代の天才が登場したんですね。それがさまざまな偶然の配剤で人々の心をつかんでいく歴史をわかりやすく見ました。ちょうど同じ頃に英国ではシェークスピアの登場でグローブ座が大人気。当時、女性が舞台に上がることが禁じられて少年が女性役を演じる時代だったわけで、同じ島国の二つの国に似たような状況が生まれたのはとても不思議。英国と違って日本にはもう一つの文化の拠点である大阪が存在していて、より多様な独自の文化が醸成されていた。たくさんの連想を引き出してくれるレポートでした。感謝。