宝永地震と富士山噴火 何を学ぶか

前回に引き続き元禄16年(1703)~宝永4年(1707)の僅か5年間の“天下大変”の時代を考えます。浅間山連続噴火の翌年(1707)には、宝永地震と呼ばれる南海トラフの大規模地震が起こりました。
そして49日後には、宝永の富士山噴火(1707年11月23日)が起こります。
富士山噴火1.jpg
悪い事に、冬の江戸では感冒(インフルエンザ)が流行していました。

<宝永地震と津波>
宝永地震は宝永4年(1707)10月4日午後2時ごろ、駿河湾沖から日向灘沖にかけての延びる南海トラフで発生したM8.6と言われる巨大地震です。2011年の東日本大震災が起きるまでは、日本最大の地震と津波とされていました。
宝永地震 産業研.jpg
宝永地震の当日について、尾張藩御畳奉行の朝日重章の日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」には、「歩行することを得ず」「先年寛文二寅五月朔日の大地震より今度のは強くして長し」と記し、名古屋城周辺では武家屋敷の塀の倒壊、液状化現象などの被害があったものの死人やケガ人はでなかったという事を書き残しています。しかし東海道、伊勢湾、紀伊半島では地殻変動もあったと言います。
理科年表によると、
【被害は五幾・七道に及び、全体で死者2万人、倒壊家屋6万軒、流出家屋2万軒にのぼった】とあります。
地震に続いて発生した津波の被害は甚大だったようです。浮世絵 津波.jpg
紀伊半島から九州にかけての沿岸や瀬戸内海を津波が襲いました。津波被害の最大の地は大阪でした。大阪の市中にかかる26の橋を壊し停泊中の大船を上流へと流したようです。被害状況を記した「谷陵記(こくりょうき)」には死者1万5263人。その八割が大阪だったと記載されています。
また災害の復興に為政者が直接尽力するようになったのは、この宝永地震の頃からと言われています。

<宝永の富士山噴火の被害・感冒も>
江戸時代の三大噴火は、この富士山宝永噴火(1707)、天明3年(1783)の浅間山噴火、寛政4年(1792)の雲仙普賢岳を言います。宝永4年11月23日午前8時ごろ、富士山が大噴火を起こしました。近隣では前月の宝永地震ですでに半壊していた家々は崩れ落ちたと言われています。この噴火の灰は、その日のうちに江戸にも多量の降灰をもたらし、房総半島までに及びました。
宝永噴火 風流れ.jpg
将軍の師・新井白石は自叙伝「折りたく柴の記」の中で、当時の江戸について、
【雷音、白灰降る、草木もみんな白色となる。空暗く、燭をともして講義、戌の刻(午後8時ごろ)降灰止む】と記しています。
この降灰は水田や畑に残留し植物の成長を妨げました。また江戸市内の川に降灰が残り、翌年の江戸市内を襲った洪水の原因にもなったと言われています。
前記の尾張藩御畳奉行の朝日重章の日記「鸚鵡籠中記」には、
【江戸において公(尾張藩主)御風気故御登城これなし。総じて諸大名大方風引く。…咳気甚だ流行。貴賎悉く感冒。是やこの行く帰るも風引きて知るもしらぬも大形はセキ】と当時、江戸では富士山噴火の中で感冒(インフルエンザ)が大流行していた事が分かります。
江戸時代の厄病時、火葬場には遺体が溢れていた様子が描かれています。
江戸風邪厄病 遺体.jpg
この時代の感冒は現在のコロナウィルスと同じように治療薬といえるような薬はありませんでした。
冨士川游の「日本疾病史」によれば、江戸時代には感冒が27回あったとして、17紀末からしばしば記録がみられるようになったと記しています。

<宝永の富士山噴火の復興…財政は>
この噴火で甚大な被害を受けたのが小田原藩でした。しかし藩ではどうにもできず小田原藩は土地を幕府に返上、幕府が復興に当たることになりましたが、山間部は自力復興を求められ農民たちは江戸へ出訴を行いました。
幕府は様々な復興策を行いました。12100198895_1351d65d3f.jpg
その一つが「諸国高役金」という全国の藩から石高100石につき2両ずつ復興金を出させたのです。しかし金にして48万8800両も集まった諸国高役金。
「江戸の災害と復興」(発行:江戸文化歴史検定協会)には、
【実際に被災地救済のために使われたのは6万両強とされる。では、残りの約42万はどこへいったか。勘定吟味役・萩原重秀の差配のもと江戸城の造営などに流用されるなど不明朗会計が行われたようである】と解説されています。
今回のコロナ禍でも不明朗な持続化給付金や不正受給問題も明らかになってきています。世界一の財政赤字大国・日本がコロナ対策で使った第1、2次補正予算合わせては約60兆円とか?また東京都の緊急事態への備えの財政調整基金も9千億円超の9割以上、大阪府も1千億円超の7割を取り崩したと日経(6月10日)が伝えていました。

<歴史から何を学ぶか?が問われている!>
2020年3月31日政府の中央防災会議が開かれ降灰の様子が説明されました。
富士山噴火と降灰.jpg
朝日新聞デジタルは、
【富士山で1707年と同程度の噴火を想定。噴火が2週間続き、東京都心方向に風がふいた場合15日目の累積降灰量は新宿区で10cm、相模原では30cm…としている。首都圏での交通網の乱れ、停電がおきるとしてインフラ事業者などに備えを求めた】と伝えていました。
30年以内に70%の確率で起きると言われる首都圏直下型地震や南海トラフ地震。
●.jpg
上記の絵は「江戸のお救い小屋」。江戸時代より多くの人口を抱える現在…もしコロナ禍が同時に起こった場合は、どうなるのか?
過去の災害と復興の歴史を学び、本来の社会的弱者や高齢者への支援態勢を至急、作り直す必要があります。
また自らを自らで守る心構えで、1週間分の飲料水、食糧は各自が保有する事も絶対に必要です。
科学的根拠はありませんが、心配性の私には残されている時間は少ないように思えるのです。
記:2020年6月30日
追記
富士山と言えば葛飾北斎の富嶽三十六景が知られています。
北斎 神奈川沖.jpg
中でも「神奈川沖浪裏」は富士山の静と浪の動のコントラストが世界中から高く評価されています。その北斎が生まれる前に起きた宝永の富士山噴火も描いています。下記の悲惨な噴火被害を何故に北斎は描いたのでしょうか?
北斎 宝永山出現.jpg
北斎は富士山を描く旅の中で、各地に残る噴火の被害を聞き、美しい富士山の影にある噴火の被害を忘れないように描いたのではと思うのは私だけでしょうか。
前回「元禄地震と浅間山噴火 何を学ぶか」に戻る➡ https://64407620.at.webry.info/202006/article_1.html

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この記事へのコメント

青木繁
2020年06月30日 15:57
復興金の行方不明の話はとても面白いです。東日本大震災でも、本当に善意の寄付が被災者の皆さんに届いているのか、疑問に感じる時があります。そんなことが本当にあれば、大問題ですが。
それから、富士山は活火山です。いつまた、同じことが起きても不思議はないでしょうね。そのときは、飛行機は飛べないし、健康被害はあるし、都市機能が完全にとまりますね。美しいものの裏には、怖さも秘めている、ほんとうですね。
でも、江戸時代の倦怠感と危うさと、煌びやかさは魅力をいつも感じます。