江戸の“美味しい食"を考える-寿司と蒲焼

「おいしい浮世絵展」が7月15日~9月13日まで東京の六本木ヒルズで開催されています。
残念な事にコロナ禍の中での「おいしい浮世絵展」。IMG_2775.JPG
筆者の入場は午前中でしたが入場者が少ない事に驚きました。会場のコロナ感染対策は万全のようですが気を付ける事は大切。日頃から体内でのアルコール消毒に心がけている筆者もマスク着用と手の消毒を十分にした後に見学。◎展示会.JPG
会場には江戸の味や食文化が分かるように四季の行楽。すし、鰻、天ぷら、蕎麦、豆腐、水菓子。そして歌舞伎役者との繋がりや江戸っ子気風が創った江戸の粋な食文化が展示されていました。
この展示会を基に江戸の食生活を考えます。

<すし>
まずは、世界の日本食の代表「SUSI」。
“すし”の表記には、3つの表記、『鮓』・『鮨』・『寿司』があります。
「『鮓』は塩辛の意味だが、中国から字の意味が正確に入る前に『鮓』と『鮨』が混同していて両方とも“すし”に宛てていたと思われる…
江戸時代なると縁起を担いだ『寿司』が加わった」と江戸の食研究の飯野淳一氏が著書に記しています。
またすしの原形と言える「なれずし」は、奈良時代には税として納められていました。代表とも言えるのが「近江の鮒ずし」でしょうか。
江戸時代に大きく変化したのが「押し鮓」。柿の葉すし.jpeg
(注)現代の「柿の葉すし」。これには「柿鮓」と「箱鮓」があった。さらに「笹巻鮨」が誕生。今日の「握り寿司」は、「笹巻鮨」をヒントに鮓飯に生魚をのせてできたもの。文政期(1818~30)に出来たとされています。
◎寿司屋台.JPG
『江戸前寿司』は当初、屋台での気軽につまむ江戸のファーストフードとして普及しました。大きさは現在の握り寿司の2~3倍。「江戸前(江戸の前海)寿司」というように新鮮な魚を酢飯にのせて握りが中心だったようです。しだいに煮る、漬け込むなどの寿司も出てきました。
今一番人気のマグロは、当時は猫さえまたいで通る「猫またぎ」と呼ばれ下魚でした。
江戸すし再現.jpg
江戸末期に書かれた風俗・文化記録本「守貞漫稿」には、『江戸前寿司』として玉子焼き、のり巻、車エビ、コハダ、アナゴなどを記載。値段は「玉子焼き」が一番高く16文。他は8文(かけ蕎麦と同じ16文=320円程度)とか?
屋台ではなく握り寿司の「すし屋」が江戸の暮らしに根付いた事が感じられる狂歌があります。
松が鮨 子ども.jpg
(浮世絵は歌川国芳)「をさな子もねだるか 安宅の松の鮨 あふぎづけなる袖にすがりて」と詠まれています。深川の安宅、高級すし店「松の鮨」が大人気だった事が分ります。この「松の鮨」は握り寿司の元祖という説もありますが、握り寿司の屋台のほうが早く商いをしているようなので筆者には分りませんでした。

<蒲焼>
江戸時代では、江戸前と言えば鰻の蒲焼もありました。
江戸の.jpg土用の丑。夏は蒲焼です。
江戸時代の蘭学者であり発明家の平賀源内。夏場に客が入らない鰻屋から「繁盛の妙案はないか?」と相談をもちかけられました。平賀源内は栄養価が高い鰻の宣伝に「本日、土用丑の日」と今で言うキャッチコピーを店頭に掲げたらと提案。これが大当たりして鰻屋は大繁盛!!
京都の腹開きの蒲焼から江戸の背開き鰻蒲焼が受け入れ始めたものの…貞享4年、五代将軍・綱吉のよる「生類あわれみの令」で「割いて焼くのは残酷だ!」とうなぎの蒲焼を禁止されました。しかし江戸の鰻屋では、アナゴといって提供し続けました。町廻りの同心も知っていて食べていたのでしょうか?
江戸の蒲焼の人気の秘密の一つ目は「たれ」。
下総国(千葉県北部)の野田や銚子で濃口醤油が生産され大消費地の江戸に運ばれていました。
寛永年間(1640年代)、江戸市内には大工、石工など数多くの職人衆が集まっていました。当然、京風の薄口醤油ではもの足りない。
さらに味醂(みりん)も流山などで造られるようになっていました。蒲焼の「たれ」の完成です。焼くほどに香ばしい香りが漂います。
都内で食べラる江戸蒲焼.jpg
二つ目は、江戸では鰻を蒸してから焼く料理法が広まっていと言う話もあります。しかし焼きあがった鰻の上にを温かなご飯を乗せて蒸したとい説もあります。それはともかくふっくらとした味わいが江戸っ子に大受けだったのは確かです!!
今も江戸の味を看板にした蒲焼屋はあります。かって仲人さんの招待を受けて夫婦揃って老舗の鰻専門料亭で美味しい鰻を食べた事が楽しい思い出になっています。
三つ目は、江戸前のうなぎは美味いとの風評がありました。
鰻釣り.jpg
浮世絵に神田川の水道橋が見える場所で鰻を釣っている風景があります。
江戸では日常生活の中で美味しい鰻が捕れたのです。
人口100万都市となった江戸。川に流れる生活排水もありました。
野菜くずや米糠、米粒などが鰻の餌に。栄養満点で豊かに肥えた鰻が捕れたのです。
しかし「土用の丑の鰻」で江戸前鰻が不足。そこで鰻屋は江戸前以外の鰻を仕入れました。これを「江戸前鰻とは味が違う、まずい!!」と江戸っ子は言うのです。江戸前以外の鰻を「旅鰻」と蔑称し嫌がりました。
今回は、ここまで"(-""-)"。
次回は、蕎麦や天ぷらなど江戸の味文化を考えます。
記:2020年7月17日
IMG_2797.JPG
<参考図書>
「守貞漫稿」、「すし天ぷら蕎麦うなぎ」著:飯野享一、「江戸の食ごよみ」、「江戸博覧強記」、「大江戸見聞録」「江戸諸国よろず案内」など。


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この記事へのコメント

青木繁
2020年07月17日 11:49
江戸の食、確かに一番は寿司ですよね。
「すし」の意味は地域でも、すこし違うと言うことに実感したことがあります。
私は北海道で働いていただことがありますが、「すし」の呼び方が東京と微妙に違うのに驚きました。江戸前の寿司は、「なまずし」とよび、単なる「すし」はちらしずしで、酢飯に具をいれたものでした。
はじめて「なまずし」と聞いたときに。では、生でない寿司とは???と。北海道は言葉や、習慣で、本土と似ている部分が多いのですが、あるところ恐ろしく違う意味や風習に驚かされることがありました。葬儀でも驚く体験をしたことがありした。これはそれなりの理由がわかったのですが、別途。
それにしても「生寿司」を釧路で贅沢に毎週のように食べていたことを思い出します。値段に全く斟酌せず、「いくら・ウニ・うに・雲丹・イクラ・蟹・かに・カニ」と派手に注文し、釧路ならではの食べ方を思い出しました。江戸の粋な食い方とはほど遠いマナーで!

それからもうひとつ、寿司、鰻とふたつブログには書かれているのですが、目黒のさんまはどんな歴史なのかしら?
昨日のニュースで5000円以上と言ってましたが、当時は庶民の味だったと思いますから。それに、さんまは足がはやいので、江戸時代は刺身はなかったでしょうね。
ぜひ次号に書いてください。食い物の話になるととまりません。
小林成基
2020年07月18日 19:53
晩飯前に読んではいけません。腹減ってダメです。あとでゆっくり拝読します。
小林成基
2020年07月19日 11:02
いやあ、いつも勉強になるなあ。読んでるうちにいろいろ連想して、はっと気づくとドライアイになってる。アリ地獄のようなブログですな。才能だね。健康のために見過ぎに注意します。次回の蕎麦!楽しみ。