江戸の”美味しい食”を考える-天ぷら


「おいしい浮世絵展」が7月15日~9月13日まで東京の六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催されています。
江戸の四大名物食といえば寿司、鰻の蒲焼、蕎麦、天ぷらです。
IMG_2797.JPG
天ぷらは元々、西洋から伝えられた料理です。語源もポルトガル語説、スペイン語説、山東京伝説など諸説(注1)あります。
今回は「天ぷらと将軍」をテーマに江戸の食文化と政治、経済を考えていきます。

<天ぷらを隠れて食べる武士>
女性や子どもがいる天ぷらの屋台で“ほっかむりした二本差しの武士”が天ぷらを食べている浮世絵があります。
天ぷらと武士日本差.jpg
江戸での天ぷら一串が6文(150円)の価格から庶民の味になりました。浮世絵には「持ち帰り天ぷらを待つ女」「丁稚が小遣いで買う」様子も描かれています。ほっかむりして顔を隠して天ぷらを食べるのは武士の矜持が許さないだけの理由だったのでしょうか?
さて関東の天ぷらは江戸前の魚介類を中心に衣を付けてゴマ油で揚げるという食べ方です。関西では野菜を菜種油で揚げて食べるのが普通だったとか。
天麩羅.jpg
安永年間(1772~81)に、天ぷらは油で揚げる事から火事の危険性があるので屋台として路上営業の形態が広まりました。
時代は戻りますが三代将軍・家光による武士諸法度(寛永令1635)では、「結婚式など(諸行事)は簡素に、その他も節約をこころがける事」とあります。家臣団や各藩へ贅沢を禁止しました。

<家康死亡は「天ぷら」食べ過ぎ?>
健康オタクとも言える家康(元和2年1616)の死因が「天ぷらの食べ過ぎた」と言う説があります。
家康 肖像画.jpg
江戸食研究家の飯野享一氏は著書「すし天ぷら蕎麦うなぎ」で『家康は確かに死ぬ前に鯛の天ぷららしきものを食べている』と記しています。そのうえで『家康が腹痛を起こしたのち、回復していて、死去したのは三か月後のこと』として天ぷら説を否定しています。現在の一般論では胃がんだったと言うのが定説のようです。しかし、いまだに「天ぷら死亡説」は消えていないのです。
将軍職を秀忠に譲り大御所となった家康は当時としては贅沢な食生活をおくっています。
季節の食材をふんだんに取り入れた家康流の食事法は、三代将軍・家光の「武士諸法度」贅沢の戒めと矛盾していたのでしょうか?

<江戸藩邸定住の武士>
四代将軍・家綱の治世(1680~1709)は、武断政治から文治政治と変化し武家諸法度も改定されます。
江戸屋敷.jpg
参勤交代も定着し、藩主と共に江戸で一時的に勤務し一緒に帰国するのが「江戸詰」。到着と同時にすぐ帰る「立帰り」もいました。
江戸屋敷に一定期間在住するのが「定府(じようふ)」。「定府」の役目は屋敷管理と情報収集。後に「留守居役」と呼ばれるようになり情報収集の任のために特権的性格を持つようになります。
つまり料理茶屋や遊郭などで散財がする事が暗黙の了解にとなったのです。当時の武士の病「江戸わずらい」ビタミンB不足で起こる脚気など疾患はなかった事でしょう。

<豊かになった江戸の食文化>
寛文11年(1671)には材木商・河村瑞賢の働きで東回り航路、翌年には西回り航路も開かれました。各地の物産交流が増加するとともに江戸の消費は拡大します。幕府は貞享3年(1686)など時おり増え過ぎた「そば」、「寿司」などの屋台を少なくする高札を市内に立てています。◎展示会.JPG一方で店を構えての食事の提供はかまわないとしていました。
火事を恐れているだけではなく、他の理由もあると勘ぐりたくもなります。それは“賄賂と接待”の横行です。その背景には、コメに頼る諸大名の財政が悪化。一方で札差、両替商や三井など大店が力を付けていきました。幕府の天下普請による公共投資から町人経済への転換が江戸で行われたとも言えます。

<江戸バブル期がグルメ文化を創った>
そして五代将軍・家綱の治世(1646~1709)には元禄文化が開花しました。
寛保3年(1743)の幕府の調査では江戸の人口の内、男性が約31万6000人。女性が8万5000人。圧倒的な男性社会でした。
高級料亭も数多く江戸に誕生しています。
八百善.jpg
いまは在りませんが「八百善」では、水菓子(デザート)付きのフルコースの会席料理。天ぷらも入っていたと思うのですが…?八百善では、初鰹を歌舞伎役者の中村歌右衛門と同額の一本3両(30万円)で購入したとか。また二、三人の茶漬けが一両二分という逸話も残されています。
明和9年(1772)には田沼意次が老中に就任。賄賂政治と言われた田沼の改革へと移っていきます。近年、田沼意次の評価が変化しています。鉱山開発、新田開発、殖産興業と次々と重商主義的な政策を推進したからです。
また幕府は貨幣の改鋳(注―2)や株仲間(同一業者の集まり)も増やし、文化10年には65組から年間1万200両を上納させていました。
江戸にバブル経済の到来です。
お上と傘下の役人には美味しい政治体制だったと思えるのです。
第11代将軍・家斉の治世、文化・化政(1804~30)には、寿司、天ぷら、蒲焼などの食べ物商いが旺盛になっていました。

<天ぷら新時代へ>
屋台と歌舞伎衆.JPG
さて、その後の天ぷらは「金麩羅」と呼ばれるモノも登場しまた。「天麩羅」と「金麩羅」その差は?
「天麩羅物語」著者の露木米太郎によると「『金麩羅』は、主に椿油を使い、衣は小麦粉か吉野葛で、それに卵の黄身だけで溶いたもの」との事。
しかし本格的な専門店としての天麩羅屋の登場は幕末です。
「武江年鑑」続編(明治10年)には「テンプラ屋。近頃これを商う家次第に増したち」と記載されています。「天金」「天寅」「金麩羅」「丸新」など10店が明治23年発行の「東京百事便」に載っています。

<将軍は天ぷらを食べたか?>
初代将軍の家康以来の将軍(公方)さまは天ぷらなど食べたのでしょうか?
落語の「目黒のサンマ」を聞いた方なら分かるかもしれません。
目黒のsannma.jpg
【時は秋。目黒の狩場に行った殿さま。お腹がすいている時、百姓家から何ともいえぬいい香り。『苦しうない。サンマをもてい!!』。これが実に美味しい事。殿大満足。暫くしてサンマを食べたいと所望。料理方が油や骨を抜くなど丁重に料理…とりあえず一口食べたが、これが超マズイ。『これはどこのサンマじゃ?』。家老が『品川沖で捕れたものにございます』。すかさず殿が『なに、品川はいかん。サンマは目黒に限る』】と言う話。この殿とは将軍だとも言われています。

<天ぷらと幕府>
前記の質問。将軍(公方)さまは天ぷらなどを食べたか?その答えが将軍の食材一覧(江戸博覧強記より)にありました。
将軍の生活.jpg
下記は、献立に使用しなかった食材です。
▼サンマ、コハダ、マグロなど魚類多数。
▼牡蠣、アサリ、赤貝など貝類。
▼ねぎ、にら、ニンニク、など野菜。
天麩羅、油揚げ、納豆など
※鴈、鶏、鴨、兎以外の肉類は食べない。
家康以降の歴代将軍は天ぷらを食べていないのです。
もしかして徳川家臣団には『天ぷらを食してはナラナイ』という暗黙の掟があったのかも?最初の浮世絵「ほっかむりして天ぷらを食べる武士」の理由だったのかも・・・と想像力が刺激されます。
江戸博覧強記(江戸文化歴史検定協会)には、
【将軍の夕食は、基本、中奥でとったという。…一の善から三の善、九品ほどの料理。将軍はいつも二品程度しか食べなかったという。残りものは御年寄りや御中臈が食したが、大奥での表(将軍の執務室)の評価は「まずい!!」という評判であった】と記載されています。
「将軍でなくて良かった」と思う自称・食通の人も多いと思います。

記:202020年7月24日
注1)天ぷらの語源。ポルトガル説=Tempero。スペイン語説=Tempora。山東京伝説=天竺の浪人がふらりと江戸に来て始めたから。
注2)貨幣の改鋳=金・銀の含有量を減らした貨幣を造り、余録を幕府の財源にした。
<参考図書>
「すし天ぷら蕎麦うなぎ」、「江戸の食ごよみ」、「江戸博覧強記」、「大江戸見聞録」「江戸諸国よろず案内」「経済で読み解く江戸時代」、「大江戸知らない事ばかり」など。IMG_2775.JPG

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 29

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

青木繁
2020年07月24日 18:33
天ぷら、寿司と、江戸にはたくさんの屋台が、現代でもあったら面白いですね。
「江戸時代バーチャルモール」で掛け持ちして江戸を食べるという企画はどうでしょうか。都会では昼食の食堂の混雑を避けるために、最近はキッチンカーが複数出ているビルなどがありますが、寿司や、天ぷらを見ることがありません。チキンの唐揚げくらいまでですね。

それから、献立に使用しなかった食材が興味深いです。
コハダ、マグロなどは、やはり鮮度の問題かしら?特に、その後に記述されている、牡蠣、アサリ、赤貝はいずれも現代でも要注意ですから。また、ねぎ、にら、ニンニクなどの野菜がダメというのも面白いです。精力抜群なのに?

では、家康の一番の好物はなんだったのでしょうか?
こんなのは記録に残っているのかしら?もしわかりましたら教えてください。
小林成基
2020年07月24日 22:06
将軍にはうまいものでなはく安全なものを食べさせたと言うことですね。いやあ、短い中に情報満載。在任期間最長不倒の家斉さんあたりは週一くらい頻繁に鷹狩りに出かけたというから外で楽しくやってたのかなあ。このコーナーを読み始めてから江戸を身近に感じるようになりました。触発されて、時間を見つけて家斉時代の関係図年表をつくろうかと思い立ったけど、生来の不精が祟っていっこうに進みません。ここを読むたびに見習わなきゃ、とつぶやくのですが・・・・。
白樺人
2020年07月25日 09:44
「おいしい浮世絵展」で江戸の食文化の奥深さを感じました。季節ごとの節目に食べる行事食や団子などの甘味食も展示されていました。おせち料理、七草粥、初ガツオ、風呂吹き大根・・・などなど江戸の食文化を大切にして、未来に伝えて行きたいものですね。